この記事は、自身が経験した死産からどのようにして立ち上がってきたのか。お腹の中の娘が教えてくれたことを考えながら綴っています。経験したありのままを書くことで、誰かを不安にさせたり、傷つけてしまったらどうしようと悩みました。でも、私が同じ経験をした人から救いを得たように、今苦しんでいる誰かを助けることができれば、私と同じことになって欲しくないとの思いから、赤裸々に体験談を記事にしています。不安な方は、ここでストップしてください。
前回の記事『繰り返した2回の流産と着床前診断をして授かった命が…』からの続きです。
世間では妊娠は病気ではないと言われています。
それは本当でしょうか?
妊娠9週の時、私の血液検査の結果をみて主治医のY先生は
「あなたの数値は完璧だね!どこも悪いところがない!エクセレント!」と褒められていました。
今日は、日頃どんなに健康体の人でも、標準体型の人でも、妊娠中に突然発症することのある
恐ろしい病気について、自らの体験をお話していきたいと思います。
大好きだった出汁の味が一番苦手になり、飲み物すら少ししか受け付けられなくなるほど
吐き続けた酷いつわりも、5カ月に入った頃ようやく落ち着いてきました。
18週頃からはお友達ともまた遊び始めることができ
ちょうどサンクスギビングだったので
数組の家族で集まって一緒に楽しい感謝祭のディナーも楽しむことができました。
体調も安定してこんな風に出産まで妊婦生活を楽しめるのかなとワクワクしていた頃・・・
2021年12月3日の検診日 妊娠20週
月1度の検診日を迎えました。
いつものように血圧を測ると
ナースが、「あれ?血圧高いね、もう一回測ろうか」
血圧計の数字を覗き込むと
そこに映し出されていた数値は
154
確かに高い……
それでもY先生に心拍を確認してもらうと
お腹の赤ちゃんは馬が走るようにとても早い鼓動を打ち
先生からも「sounds good!」と言われ、
いつものようにとっても元気な娘でした。
その日、血圧について先生に何も触れられなかったので
自ら、「先生、私、血圧が高いみたい」と伝えると
カルテを見て、「そうだね~ちょっと高いね」「なんであなたが?」と先生も不思議に感じながら、薬を処方されました。
低量アスピリンです。
妊娠中に飲んでも安全ということで、
私はこれでもう大丈夫だとどこか安心していました。
その4日後・・・2021年12月7日
次の検診を待たずして、Y先生に電話をかけることになりました。
自らお家で測り始めていた血圧が昨晩、
上170 下106になっていたからです。
こんな数字今まで見たことない。
先生にすぐに来るように言われ、
不安な気持ちと共に仕事の合間をぬってクリニックへと向かいました。
いつものように血圧測定と尿検査を済ませ
赤ちゃんの無事を確認すると、
アスピリンに追加して朝晩の降圧薬が新たに加わることになりました。
ナースが診察室のドアをノックし、
「プロテイン2プラス」と先生に告げる声が耳に入ってきました。
「尿蛋白2+」とはどういう意味だろう?と疑問に思いながら
先生に言われたことだけに集中しました。
これから毎日、お家でも朝晩血圧を測りログをつけること
もし目がチカチカしたり、鋭い頭痛を感じたらすぐに連絡すること
今後は月一の検診から週一の検診に変わるということで
その日から突然訳も分からず「妊娠高血圧症候群」との戦いが始まりました。
Y先生からは最初から最後までなんの病名も告げられることはありませんでしたが、
その当時、既に尿蛋白2+だったので「妊娠高血圧腎症」にいきなり飛び級していたのかもしれません。
のちに蛋白尿は4+の最大値へと向かっていきます。
その日お家についてから、
ダメだと思いながらもやってしまいました。
グーグル先生。
「高血圧」「妊娠」と検索すると、「妊娠高血圧症候群」や「妊娠中毒症」という言葉がいくつも並んでいました。
内容を読んでみると恐ろしい言葉が目に飛び込んできます。
20週から始まると重症化するという文字も…
まさに私だ…
そして最悪の行く末は…考えたくない。
私自身、体調も良く元気だったことと、
たとえ妊娠高血圧腎症になっても無事に出産できている人は普通にいるという事実に
その時の私は、どこかおとぎ話のような感覚で
ネットの情報はあまり気にしないでおこうと思い
今の時代、最悪の結果は起きないだろうと信じていました。
翌週12月9日 妊娠21週を迎えた日
薬を飲み始めても、相変わらず血圧は150~160を行ったり来たり。
妊娠高血圧症候群になってしまったら、むしろ血圧が下がりすぎてもダメで、上は140台ぐらいを保たなければなりません。
血圧の心配はありながらも、その日は朝からウキウキが止まりませんでした。
なんと!その日は、エコー技師による初めてのお腹の赤ちゃんとのご対面の日。
いつものクリニックとは違いハワイ最大の病院へと足を運び、
初めてのご対面にマルコと一緒にとっても楽しみにしていました。
アメリカでは周知の事実ですが、毎月のようにエコー検査のある日本とは違い
この国では通常、出産までの間に、胎嚢を確認した後は2回しかエコー検査がありません。
赤ちゃんと出会える貴重な時間です。
診察台にあがり、エコーをお腹にあてられると、
とっても大きく動くものが画面いっぱいにどーん!と映し出されました。
2回の流産を繰り返し、小さなお豆しか見たことがなかった私は、
生まれて初めて見る自分のお腹の中にいるしっかりとしたヒトの形。

こんなにたくましく育っているんだ!
思わずかわいい~と声が溢れてしまいました。
マルコも椅子をめいいっぱい診察台に寄せて画面を食い入るように
娘が動くたびに
子供がはしゃぐようにしてニコニコしながら眺めていました。
念のために性別をもう一度確認してとせがむマルコ。
21週というと、性別がわかる時でもあり、
男の子かな?女の子かな?というワクワクも重なる時だと思いますが、
実は、私たちは既にこの子が女の子だと知っていました。
着床前診断を受けていたため、
性別まで事前に教えてもらえていたのです。
子宮に戻す前から、もう女の子だと分かっている医療の凄さ。
日本では性別を教えてもらえないと思いますが、アメリカでは卵の段階から教えてくれます。
念のため確認してもらうと、
科学の答えと同じく女の子でした。
まるで私たちが見えているかのように、こちらを向いて手を挙げてシャカをしているかのような娘。
愛くるしくてたまりませんでした。
エコー技師は「とってもアクティブね!」と、微笑んでいましたが、
「少し小さいね」と気になることも言われました。
その病院のエコーの先生が交代してやってくると、
「う~ん、そうね少し小さいわね。」
私「どのくらい?」
先生「1週間ほど」と。
私は、少し心配になり、「もしかして妊娠高血圧症候群が関係してる?」と聞いてみました。
その疾患によって胎盤への血流が悪くなり栄養や酸素が赤ちゃんに行きづらくなると
ネットに書かれていたのを思い出したからです。
先生は、「う~〜ん。。」「血圧はどのくらいなの?」と聞かれ、
最近始めた毎日の血圧ログから、「今日は上が160 下は100超えです。」と報告。
すると先生から、「週末前にY先生にすぐに電話して薬を調整してもらった方がいいわ」とアドバイスを受けました。
薬が効いていないのかなとなんだか少し不安になりましたが、
「少し小さくても、アクティブだから大丈夫!次のエコーは、1カ月後だからアポとっってね」と言われ、娘の力を信じることにしました。
それよりあれ?アメリカはエコー合計2回で次は出産間近じゃないの?と思いましたが、
体外受精の場合は、追加もう1回やってくれることが分かりました。
来月も娘に会えるんだと思うととっても嬉しかったです。
2日前に診察を受けたばかりなので、少し躊躇しましたが、
翌日、主治医のY先生に電話をすることにしました。
「先生、上が160を超えてきています、どうしたらいいですか?」と聞くと、
「次の週の診察まで血圧のログだけつけといて」とだけ言われて電話は終わりました。
エコーの先生と私が大袈裟なだけなのかとなんだかちょっと困惑した気持ちになりました。
いつの間にか街は華やかなクリスマスカラーに彩られ、ライトアップとともに温かい冬のホリデーシーズンが始まっていました。

私は、カハラモールやアラモアナショッピングセンターでみんなのクリスマスのプレゼントを吟味しながら、
「毎日30分ウォーキングしてね」という先生の言葉に従って、
2時間半ひたすらウォーキングと題してショッピングを楽しみました。
でもそれが最後の楽しいショッピングになろうとは、
ここから本当の戦いが始まろうとしていようとは、
夢にも思いませんでした。
その後の私がどんな道を辿っていくのか
次の記事で、あの日が訪れるまでのお話を少しづつしていきたいと思います。

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