この記事は、自身が経験した死産からどのようにして立ち上がってきたのか。お腹の中の娘が教えてくれたことを考えながら綴っています。経験したありのままを書くことで、誰かを不安にさせたり、傷つけてしまったらどうしようと悩みました。でも、私が同じ経験をした人から救いを得たように、今苦しんでいる誰かを助けることができれば、私と同じことになって欲しくないとの思いから、赤裸々に体験談を記事にしています。不安な方は、ここでストップしてください。
前回の記事「お空の娘がこの世界に生まれるまで〜専門医の衝撃発言〜」からの続きです。
2022年1月11日 娘が誕生した日
朝起きると意外にも冷静な自分がいました。
「今日べびたん生まれてくるんだね」
「がんばったね」と話しかけ
病院へ行く時間を待っていると
次第にお腹が痛くなってきました。生理痛がどんどんと激しくなるような痛み
もう早く病院に行きたい。
病院に着くと、淡々と事が進み
手術着に着替え待機ベッドに横になっていると、
代わる代わるにナースや麻酔士がやってきました。
ハワイの病院では何度か手術を経験したこともあり、その度に、本当に映画で見るようなアメリカらしい場面に遭遇するのですが、
こんな時でも先生たちはジョークをいったり、クスっと笑かしてくれます。
最後に手術の執刀医が挨拶に来てくれました。
3人並んで入ってきて、どの先生も顔の中身が良く見えません。
手術前にコンタクトを外していたためです。
K先生のチームドクターのいずれかの先生が担当するとは聞いていましたが
昨日あのクリニックの診察室にいた先生なのかどうかも顔が見えなくてわかりません。
目が見えないって、誰に手術されるかも分からず、こんな状況になるのか。。💦
そして、その時、私は今日お家に帰れないということを告げられました。
本当は日帰り手術の予定だったのですが、経過を診たいから今晩は入院してもらうということでした。
私はそんなに何か大変なんだろうか?
そのままベッドを動かされ、手術室へと運ばれていきました。
手術台へと移動し、その数秒後にはもう完全に記憶は失われ
目が覚めると真横でコンピューターをカタカタと打っている女性スタッフさんが座っていました。
あっ、手術が終わったんだ。
思わずお腹を触りました。
まだ娘がいるかのような変わらないお腹の大きさ
女性スタッフさんは、目が覚めた私に
「ここは入院する部屋が空くまで待機するお部屋ですよ」と日本語で話してくれました。
今までずっと英語の医療関係者しかいなかったので
久しぶりに日本語を聞き、とても安心しました。
出血を確認するため寝ながら紙パンツを下ろされると、私の開腹手術の痕を見て
「何歳なんですか?」と聞かれました。
何のことをいっているのか最初理解ができず、
数秒後に、帝王切開の跡と間違えられているんだと気づくと
「これは子宮筋腫の開腹手術の痕で、今日は娘が産まれましたが生きて産まれてこなくて・・」と涙ぐんだ声で頑張って伝えました。
彼女は慌てたように「ごめんなさい!私は、あなたをモニターしてと言われているだけで、カルテの内容を目にすることはないから、あなたが何の手術を終えたのかも知らなかったの」と謝罪を受けました。
知らなかったらそう思うよね。。
日本語スタッフさんは、私の血圧を30分おきぐらいに測り、コンピューターに入力していました。
私の左手には硫酸マグネシウムが点滴され、右手には血圧測定カバーが外されることなくついていました。
そして指には何かが装着され、それが取れるとピーとなるようになっていました。
日本語スタッフさんに妊娠高血圧腎症にかかっていた話をすると
彼女も妊娠していた当時、妊娠中にかかると危険とされる妊娠糖尿病を患っていたことを教えてくれました。
でも、彼女の先生の対応は私のY先生とは違っていました。
彼女は、検査結果が分かったそのすぐ後に先生から電話がかかってきて、友達とのランチの予定もキャンセルさせられ即入院となったようです。
私はその話を聞いて、病名は違うけど、妊娠中にこのアメリカでも入院させることはやっぱり普通にあったんだと思い知らされました。
彼女はそっと、「日本から持ってきた美味しいお茶があるよ。飲みたい?入れてくるよ」と優しい言葉をかけてくれました。
日本にしかないブランドの玄米茶のティーパック。香り高く心がホッとする味でした。
そして「ディナー何にする?ここの結構いろいろあるんだよ。どれにする?」と言って、まるでファミレスのメニューかのような大きな3つ折りの紙にアラカルトからメインディッシュ、デザート、ドリンクまで写真付きで勢揃いしたメニューが並んでいました。
選びたい放題。
たいしてお腹も空いてなかったのですが、
その日は日替わりスペシャルで私の大好きなビーフシチューがあったのでオーダーしてもらいました。
夜7時頃ようやく入院するお部屋の準備ができたと連絡があり
移動式ベッドでペントハウスまで連れて行かれました。
産婦人科病棟は最上階です!
コロナ禍で一度病棟に入って退室したらもう戻ってくることはできないというルールの元
手術が終わるのをずっと待っていたマルコが来てくれました。
「大丈夫?」とずっと労ってくれ、
体がまだ思うように動かせない私にドリンクを口まで運んでくれ
「食べた方がいいよ」と、冷たくなったビーフシチューを食べさせてくれました。
夜どおし血圧を測るために1時間置きにナースがやってきました。
私は血圧が高かったため出産後24時間以内に子癇が起きる可能性もあり、厳重な管理下に置かれていました。
「子癇」とは妊娠特有の痙攣発作で、発症後に何度も繰り返すことで妊婦が死に至ることもある恐ろしい病態です。
そのために硫酸マグネシウムを点滴し子癇予防されていたのです。
私が、Q病院に変更になったのは、大量出血の恐れとこの子癇対策のためでした。
精神的肉体的な疲れを感じながら、生まれて初めての病院での一夜が娘の誕生とともに過ぎていきました。
べビたん この世界へようこそ!
誕生おめでとう。
2022年1月11日 ハワイの病院で、娘は産声を上げることなく誕生しました。
ママとパパのところにきてくれて本当にありがとう。

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