【1】流産を繰り返した後の死産

妊娠・死産

今日は、残酷な現実を突きつけられたあの日の出来事について回想したいと思います。

私は、ハワイ在住の43歳なりたてです。 

今年の1月に不妊治療の末に授かった娘を

死産しました。

25週でした。

死産した後、深い悲しみに襲われ、

頭がおかしくなるほど心が苦しくてたまりませんでした。

自分を責める必要はないと言われても自責の念に苛まれ、

なんで私は生きているのだろうと思うほど辛い日々でした。

私と同じように流産や死産を経験したことのある人、誕生してすぐ死別を経験した人、不妊治療でなかなか授からず辛い思いをされている人、

世の中にはたくさんいます。

生きて生まれてくることのできなかった存在は、世の中に受け入れがたく、時に気持ちを理解してもらうことも難しく、孤独な気持ちになることも。

でも、必ず這い上がれる日が来ます。

悲しみは一生消えるものではないですが、

悲しみと向き合っていく中で、

心の平穏を取り戻せる日が。

もしかしたら今妊娠中の方もこの記事を読まれているかもしれません。

自らの過酷な体験を赤裸々に発信することで、不安にさせるのではないか、

私の言葉が誰かを傷つけることに繋がってしまうのではないか、と迷いましたが

私は誰かを不安にさせ脅したいわけでは決してありません。

吐き出せずに辛い思いを今も抱えている人がいるかもしれない、

死産後、同じ経験をした見ず知らずの人が私を助けてくれたように、

私の経験が少しでも誰かの力になれたら

私のようなことになってもらいたくないからこそ、伝えたいこと

そして 流産や死産 誕生死とは無縁の人であっても

明るい妊娠・出産の裏側に存在する深い暗闇があることを

孤独と闘っている人がいることに気づいて欲しい。

たとえ生まれてくることがなかった命だとしても

娘の生きた証を記憶に刻みたい。

すべての方に向けて

何か届くメッセージとなることを願って

今日から自らの体験を綴っていこうと思います。

お話を読むことが辛くなりそうな方は、ここでストップしてください。

少し前を向いて歩いてみたいと思った時、

ふと思い出して戻ってきていただけたら嬉しいです。

2021年1月6日 妊娠25週の検診日

「胎動感じてる?」というY先生の問いに

私は「体調が悪いし、歩けないし、お腹もずっと張って、胎動なのかなんなのかもうよく分からないです。」と力無い声で答えました。

その時の私は、

誰もがイメージする楽しい妊婦生活からかけ離れて、ただ息をしているだけで精一杯の日々を送っていました。

お腹の娘を守りたいという気持ちだけが私に唯一光を当ててくれたマタニティーライフ。

どんな状態でも、娘は絶対に大丈夫!

最悪なことは起こらないと信じて疑いませんでした。

正確に言えば、

私はどうなってもいいから、娘だけはお願い元気でいて!と願っていました。

診察台の上で、お腹の赤ちゃんの心音をきく超音波心音計をあてて、ひたすら赤ちゃんの場所を探す先生。

2週間前も1週間前の検診の時も、先生に「赤ちゃんは動いてる?」と聞かれるたびに、

私は「よく分からない」と答えていましたが、

Y先生はいつも「赤ちゃんが小さいだけだよ」「もうすぐ感じるよ」と優しい言葉をかけてくれていました。

でも先生はいつも小さいからと言うけど、私は20週頃から胎動を感じていたこと、

その胎動がこの頃もう良く分からなくなっていることに1人不安を覚えていました。

それでも1週間前の検診では「sounds good!」と先生に言われ、診察室に鳴り響く力強い心音に私は安堵していました。

今まで使ったことのないエコーマシーンが無言で運ばれてくると、赤ちゃんが画面にうつし出されました。

ようやく会えた娘の二度目の姿。

私は、妊娠が判明してから死産を迎えるこの日まで1回しかエコー検査をしたことがありませんでした。

娘は、ぷかぷかと気持ちよさそうに浮かんでいるように見えました。

動いていないとも知らずに。

Y先生はずっと無言で、長い沈黙の後、

I’m sorry your baby’s heart stopped beating.(残念だけど赤ちゃんの心臓は止まってる)」

信じられなくて 信じたくなくて うそでしょって思って、

そんなのあるわけないって思って、両手で顔お覆いながら

私はNo No No Noooooooooooooしか発することができませんでした。

天から地へと落とされたあの瞬間がどれだけ残酷な時間だったか。

たとえ心拍が探せなくても、きっとどこかに娘は隠れて大丈夫と信じていたのに。

先に現実を受け入れることができたのか、私の傍に立っていたマルコ(主人の愛称)が、

声を上げて泣き出しました。

今まで見たことのないマルコのその姿を見てちょっと驚いた自分がいました。

思わず先生が席を外して二人だけの時間をつくってくれました。

いつも心配して検診の度についてきてくれたマルコ。

サーフボードもう買っとこうか?(えっ早すぎでしょって思いながらも)

一緒にサーフィンできるかなって楽しみにしていたマルコ。

私は愛するマルコを悲しませてしまったことに、申し訳なさが入り交じり、更なる悲しみに襲われました。

でもまだ現実を受け入れられていない私は、その時、声をあげて泣くことはなく、

「先生なんでなの?」と震える声で尋ねると

あまりのショックに言葉を失いました。

そういえば、流産した時も同じことを言われたっけな。

「体外受精と年齢のせい」と。

分かってる 若くないのは分かっている。でも、私よりも年上の人でも妊娠して出産している人だっている。

なんでそんなこと言うの?

何の検査もまだしてないのに。

そして「僕が助けてあげられることは何もなかった」と言われました。

この言葉にそうなんだって思うしかその時はできませんでしたが、

後に色々なことが分かってきました。

私が一体どんな妊娠生活を送っていたのか。

次の記事で、2度の流産を経て今回授かった命の始まりからお伝えしていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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